70s〜80s トレジャーハンティング
treasure hunting
ショップパワー
この店で買うのがかっこいい、この店で飲み、楽しめるのが自慢。なにはなんでもこの店、ここに行けば誰かに会えるし新しい仲間もできる、時代を背負ってたお店たちが確かにあった。
怖いおばちゃんのMitchanはほぼ神戸の女性たちはお世話になったはず。トレンドではMAC、アルフィー、ボビーズ、ヘンスフォースなどが代表格かな。エンタメ分野では英国感を味わえたKings Arms、DANNY BOY、誰もが坂を登ってここを目指したAttic、ドライブデートならイエスタデイや西海岸のウエザーリポート、芦屋レフトアローンには来日したミュージシャンのほとんどが立ち寄り、軽く演奏までしてくれてた。ポートアイランドではアイランドカフェ、ちょい気取ってV&V、ライブならチキンジョージに尽きる。
イベント
ポートピア博覧会、どうしてそんなものができたのだろう、ってくらいのビッグイベントが高度成長時代を背景に催されていた。
”山、海へ行く”というキャッチフレーズで埋め立てられたポートアイランド、1981年、その完成記念に3月から9月の半年間行われたのがポートピア博覧会、ゴダイゴがテーマソングを歌い、1600万人が押し寄せるという地方開催では異例のビッグイベントとなった。安藤忠雄建築、三宅一生ディレクションの「ファッションライブシaアター」が4大陸の民族文化から地球風俗曼荼羅という世界観を描き出して話題を集めた。
1984年10月、ポートアイランド・ワールド記念ホールで行われた伝説のイベント「COSMOPOLIS」、坂本龍一、菊池武夫プロデュースのコンプレックスファッションイベント。混乱ー破壊ー誕生のストーリー展開で、シンフォニー、バレエ、コンテンポラリーダンス、ブレイクダンスなどのエンターテインメントショーを未来的なコスチュームで展開した奇想天外なステージパフォーマンスで度肝を抜かれた。こんなフェスまたできたらいいね。
メディア(雑誌・映画など)
神戸を背景にしながらの生活文化に密着したメディアも数多く存在した。サブカルチャー、女性文化、若者文化、細分化された個性派が群雄割拠。
1970年、神戸北野町から伝説の編集者・故小島素治によって刊行されたブックレビュー、そしてSUB、こんなカルチャーマガジンが発行されていた。当時は関西初の雑誌などなく、タウン誌神戸っ子や、唯一大阪からプレイガイドジャーナルというサブカルチャー&スケジュールマガジンが発行されていたくらいの時代、74年に神戸市のファッション都市としての機関紙的に登場したのがファッションKOBE・のちの神戸からの手紙~SAVVY、日常生活にフィットしたスタイルマガジンとして定着していった。映画でも神戸出身の大森一樹、白羽 弥仁両監督から意欲的な作品が生み出された。ビジュアルデザインが一気に進化し、デパートや流通各社からはユニークな販促冊子も発行された時代。
メモリーズ・記憶に残る神戸
記憶に残る神戸のまちの移り変わり、それぞれ印象的でエポックメイキングな出来事や光景が浮かび上がってきます。そのほんの一部ですがお宝トピック。
神戸の生活文化は昼も夜も外国人がもたらした影響によって培われてきたことがよくわかります。港町ならではの外国人船員さん相手の俗称・外人バーは栄町あたりに100軒近くあったようです。ジャズやカントリー&ウエスタン、ロックなどのライブバーが数多くでき、舶来輸入雑貨店の品揃えは日本のどこよりも神戸が群を抜いていました。しかし、北野の超人気The Atticや、最上階に回る展望バーのあったニューポートホテル、大正時代から文豪や画家たちが寄せ書きを飾ったバー・アカデミーも姿を消しました。継続現存する施設も時代とともに姿を変えていきます。せめて記憶だけはとどめておきたいものです。