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エリアパワー

area power

トアロード

最も神戸らしい坂道のエキゾチックエリア。戦後北野町周辺に住んだ外国人が坂道を降りる途中に立ち寄った。コンビニエンスでしかもそれが山を見通せる坂道だったというところが神戸ならでは。

アメリカンファーマシーはアメリカ生活文化の象徴(ワンダフル・コウベ1976)。今も健在の舶来品・クロス、ドイツ惣菜・デリカテッセン、帽子のマキシン、センター街入口のドンク、そして輸入雑貨のミッチャン……、70~80sの神戸の洋風イメージを高めた洋風舶来の匂い満載のストリートエリア。

高架下

脈々と神戸の若者文化を支えてきたカルチャーストリート。スニーカー、Tシャツ、アメリカン、サーファー、神戸のほとんどの若者たちはこの高架下で多くを学び、またここを卒業した人たちが新たなファッション文化を作り上げている。

70~80s当時は、東方面はとにかく靴屋さん、西へ行くに従って少し危うい掘り出し物エリアだった。輸入品も三宮やトアロードの高級品ではなく安価で際物も多く、若者たちにとっては流行りの一歩先を発掘できる貴重なストリートだった。80年代後期からは日本のトップを走るアメカジ最前線、どこになくても神戸高架下にあり、と全国からフリークたちが押し寄せた。少しはみ出て高架の北側に小さなオリジナリティあふれるファッション系ショップが誕生した。ここからトアウエストに移っていったケースも多くみられる。

北野町

70年代後半、ラブホテルに占拠されそうだったこのエリアに突如現れたローズガーデンがすべてを変えた。折りからの異人館ブームと共に、全く新しいファッション的なまちが形成され、昼も夜もあのキツイ坂道を登って得たサムシングエルス。

❶ローズガーデン。レンガとコンクリートの斬新なデザイン建築。(撮影/坂上正治) ❷港を見下ろせるおとぎの国のような ティータイム、オクトーバー14。 ❸ファッション撮影に重宝されたフォトジェニックな北野エリア(神戸からの手紙1977年秋号 撮影/Atsusi Shiiki) ❹北野クラブはバーの階下に大きなホールが開け、ビッグバンド演奏でのダンスホール、素敵な時代。大きく開かれた窓から神戸のまちを一望できる心地よさはいまも変わらない(写真提供/北野クラブ)  ❺とにかくこんなに美しい坂道は北野ならでは。❻蔦の絡まる異人館倶楽部で絵に描いたようなティータイム。 ❼帽子デザイナーのヒラタカズコさん。カッコいい女性でした。

トアウエスト

もともと華僑を中心とした生活圏だったが、ワンウエイの登場をきっかけに若いオーナーたちがそれぞれの思いを表す個性的な店々を誕生させて行き、トアロードの西側ということで、一気にトアウエストのネーミングも浸透した。

❶トアウエストの先駆ONE WAY。海外のミュージアムショップや街角のアートショップ に インスパイアされてできた店。当時日本に入っていないポストカードや写真集に魅了された(撮影/坂上正治) ❷ヨーロッパの業務用キッチン用品シュビドゥビ。雑貨のおもちゃ屋さんのようだった。 ❸いまも小さな個性的なショップの点在で若者の人気を集めるエリア。 ❹トアウエストの中心的位置のウエルストンビル(SAVVY1987年4月号)

旧居留地

イギリスの測量士J・w・ハート氏に感謝しなければ。その整ったまちづくりのおかげでいまも神戸を象徴する美しい街並みが維持されている。そして80年代の神戸大丸の商業開発のおかげで華やかに彩られ神戸のシンボルゾーンとなっている。

旧大丸ビル、旧38番館、旧15番館ノザワ、大興ビル、商船ビルなどなど、歴史的建造物が威風堂々、それらの多くが商業施設として見事に蘇った。建物を生かした斬新なデザインのインポートブティック、天井の高さ心地よい空間を生み出す喫茶店やレストラン、バーも賑わっていた。

西海岸

六甲山と共にこのエリアを神戸はもっと大切にしたいね。須磨~塩屋~舞子!なんて美しい海岸エリアだ。ドライブ10分でこの環境が得られる神戸ってすてきだと思える瞬間がここに。

しゃれた夏のビーチハウスの誕生は1983年、ハバナクラブ、ミルキーウエイ、カーマインハウスローリングトムなどなどホワイトのパラソルやチェアにハイレグ水着の女子が華やかだった。しかし何より年中通して塩屋異人館クラブやウエザーリポートなどがドライブデートには欠かせないスポットして君臨していたのがこの時代。ビーチにぐるぐる巻きのモデル撮影は神戸からの手紙(1984年D/佐方和久 撮影/藤村治郎)